「光るグラフィック展 0 」展覧会レビュー|gnck(評論家)
2021.9.8
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評論家。美術批評。キャラ・画像・インターネット研究。1988年東京生まれ。 「画像の演算性の美学」を軸に、webイラストから現代美術まで研究する。 美術手帖第15回芸術評論募集第一席。論考に「電子のメディウムの時代」ほか。
スタティックなインタラクションの佇まい
田中良治の「光るグラフィック展 0 」は、田中の亀倉雄策賞の受賞を記念して開催された個展である。受賞作品は「Tokyo TDC ウェブサイト」(https://tokyotypedirectorsclub.org/) で、インタラクティブデザインとしては初の受賞である。単なるウェブサイトではなく、しばらく操作がされないと「TDC会員のデザインによる様々な書体のデジタル時計がランダムに大きく画面に表示されるスクリーンセーバー」が表示される仕掛けになっている。 展覧会は、田中の受賞作品を敷衍した構成になっており、会場にはライトボックスや、ニット編み。ウェブサイトを表示したコンピュータ。その画面を映し出す巨大なプロジェクション、それを撮影する4台のカメラと、カメラから接続された4台のブラウン管受像機。また、受賞サイトの仕掛けである「時計」もフィーチャーされ、LEDのサイネージに表示されるのは、数字ではなく「田」だとか「亀」といった文字となっていたり、歴代受賞者の顔が二値化されたドット絵で表示されたりする(佐野研二郎の写真のファニーな感じがドットになっても伝わってきて笑ってしまう)。展示空間の最奥には、ゲームパッドを操作し、仮想化された展示空間を静かに歩くことができるようになっていた。
さて、今回の個展のタイトル「光るグラフィック展 0 」は、これまで田中のキュレーションによって開催された「光るグラフィック展(2014)」「光るグラフィック展 2 (2019)」をうけてのタイトルだ。これまでの「光るグラフィック展」には必ず対立軸が用意されており、第1回目は「CMYKとRGB」、第2回目は「実空間と仮想空間」(今回の展示の最後の部分は、この展示の「仮想空間」が再び利用されているものだ)であった。今回は個展であるため、具体的に対立軸は設定されていなかったが、あえて今回の個展から対立軸を見つけるとすれば、それはどのようなものになるだろうか。それはたとえば「ダイナミックとスタティック」かもしれない。
インタラクティブデザインを、「ダイナミック/スタティック」で区別してしまえば、全てのインタラクティブデザインは動的だと言える。しかしたとえば、色における「有彩色」が、たとえ1%でも彩度を持つならば無彩色とは呼べなくなってしまうにも関わらず、定義上有彩色である「ウォームグレー」や「ブルーグレー」がそれでも「灰色」であるように、感覚的な線引を許せるのであれば、インタラクティブデザインにも「よりダイナミックなインタラクティブデザイン」と「よりスタティックなインタラクティブデザイン」の区別をすることも可能だろう。
その意味で、田中のインタラクティブデザインは「スタティックなインタラクティブデザイン」とでも呼べようか。たとえば、ウェブサイトや時計は、「インタラクティブ」といったところで多くのことができるわけではない。ウェブサイトはクリックすることによってページを遷移し、情報を伝えてくるが、それは「本」というメディアにさえ備わっている性質だ。「時計」も機械的な、あるいは電子的な仕組みで時刻を伝える道具である。インタラクションと呼んでみても、働きかけにレスポンスを返してくれるわけではない。時計が動くのは、人間の都合とは全く異なる物理現象としての時間に従ってであって、挨拶を返したり、密着してデータを取り続けるスマート化したそれとは違い、従来的な時計に対して人間にできるのは、それを眺め、そこから情報を得ることだけである。時計とは本質的には佇んでいるだけのものなのだ。
そして、「紙をめくる」とか「動いている時計を眺める」という行為さえ、「インタラクション」だと言えるのだ。受賞に際してのコメントで、田中は「スクリーンセーバーの仕掛けが目立つが、むしろウェブを成立させるディテールの繊細な作り込みに彼の本質がある」と評されている。インタラクティブデザインの領域で言えば、華々しくキレのある動きを得意とするスターデザイナーもいようが、田中のデザインは、紙の上でも発生していたインタラクションを、丁寧にウェブという媒体で実現しているという意味で、「ビジュアルコミュニケーションの佇まい」を正統に後継していると言い得るのだろう。
展覧会内の作品からは、そのような「佇まい」を感じ取ることができるものであった。ウェブサイトの画面が印刷され、バックライトが仕込まれた看板は、受賞作品の画面を含めて、清潔な佇まいであり、グラフィックとして十分に成立することが良く伝わってくる。4つのブラウン管受像機は、「撮影した像を表示する」というシンプルな「インタラクション」の装置だが、ウェブサイトのプロジェクションを撮影する4つのカメラは、プロジェクションを鑑賞する鑑賞者があまり写り込まない画角が選ばれ設置されている。グラフィック化された時計の刻むリズムは、(当たり前だが)60bpmであり、速くなることも遅くなることもなく、一定のリズムを刻んでいる。
ウェブサイトそのものも、大きく余白を取り、色彩についても抑制された仕上がりになっている。スクリーンセーバーとして現れる時計のフォントも青い色彩で統一し、一定のリズムを持つことで、淡白でやや突き放した温度感をもっており、それでこそ「必要な情報の上に表示される」というかなり主張の強いギミックが、「佇まい」として成立しているのだろう。
クライアントワークをこそ本懐とするデザイナーにとって、しかし自身の「作品」として取り組む領域というのがそれぞれにある。たとえばそれはプロダクトデザイナーにとっては椅子であったり、グラフィックデザイナーにとってポスターであったりする。田中の受賞に際しておしゃべりアプリ「clubhouse」で筆者が(盗み聞きのように)聞いた話によると、インタラクティブデザイナーにとって、それはどうやら「時計」であるらしい。
隣接領域というものは、ときに似ているからこそ自己純化するモーメントをもつ。RGBとCMYK、フィジカルとバーチャル、クライアントワークとファインアートは、それぞれが特化すればこそ発見される美意識があるが、「時計」を選んでみせる今回の田中の仕事は、そこを意識的に横断し、接続を模索しようとする田中らしい仕事ということなのかもしれない。
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